1. All about Zemaitis まえがき | Stay with T
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1. All about Zemaitis まえがき

トニー・ゼマイティスの作品60本以上が、一堂に会したオーナーズクラブミーティング

絢爛豪華、色即是空。カスタム・メイド・ギターにおける、唯一無二のトップブランドとして、ミュージシャンの創作意欲、コレクターの所有欲、すべてのオーナーの自己顕示欲を満たして余りある満足度を与えてくれる、“Zemaitis”というキーワード。単なる楽器としてでなく、ロックスターの嗜好品として、金銭的価値以上の永遠のValueを持ち続け、すべての音楽ファンを魅了しつづける、このギターは、ひとりの天才作家“トニー・ゼマイティス”によって40年間に渡り世に送り出されつづけ、彼がなくなる2002年までの間に、およそ600本①以上が幸運なカスタマーの手に渡ってきた。ことのほか有名なのに、その全体像は神秘のヴェールの中で、オヴラートにさえつつまれてきた“秘宝・Zemaitis”。その歴史を辿ると、ブリティッシュ・ロック・ミュージックの歩んだ変遷と、そのメインストリームで常にスターに愛されつづけてきた“トニーのギター”の片鱗が見え隠れするだろう。

ゼマイティスのはじまり・・・60年代のアコースティック
(ギター職人としてのスタート)
60年代前半のロンドン、ナショナルサービス(兵役)を終えた青年は、キャビネットメーカーで修行を積む傍ら、その技術を生かして自分が演奏に使う為のアコースティックギターを作り始める。当時は、ギター製作に関わる書物がふんだんに揃う時代ではなかったから、トニーが作ったのは、「持っているギターを分解」したり、「自分のもつ工具を工夫」したり、さらには「ヴァイオリンメーカーで手伝い」をして作った、“ギターの形をしたモノ”だった。取り立てて豪華ではないが、それなりにバインディングやロゼットの紋様をつけて仕上げてみると、ところが周囲からは、たちまちその音色について評判が立った。友人達からたのまれ、材料代にわずかな工賃を乗せて作った青年は、こうして一ヶ月に数本程度のハンドメイドのアコースティックギターを作るようになっていった。スプルーストップのものや、オールマホガニーのモデルが主で、コストパフォーマンスの高いギターだ。

王室家具職人として経験をつんだ「トニー・ゼマイティス」も、ギター職人としては(そういう職業が英国にあったとすれば)当時まさに駆け出しで、一本一本自分で楽器屋に持ち込んでは、委託販売を頼っていた。スペインのフラメンコギターを並べるショップと同じ、作家から楽器を預かって、売れたら払うという方式だ。GuitarPlayer誌で、Dan Hedgesは、当時の事を、「トニーは、一本目のギターが売れたとき、Annと踊りあって喜んだ」と書いている。楽器屋は、特に人気のある作家の作品は在庫があることの方がめずらしく、オーダーを取り、前金をもらって、製作者に作らせる。Made in USAの高価なマーチンやギブソンがふんだんに店頭に吊られている時代ではないから、楽器屋街に委託でならべられたトニーのギターは、安価かつ品質が高いことから、売れ行きは良かった。ボディシェイプは、ドレッドノートタイプもあれば、クラシカルなだるま型もあり、種類に富んでいた。特にSJ-200に似た、大きめのボディーサイズと変わったサウンドホールをもった12弦ギターは、ギブソンもマーチンも、これほどレゾナンスにとんだ12弦は作れていなかった時代だから、ロンドンを訪れるミュージシャン達の間ですこぶる評判はよく、すぐにその噂は広まっていった。

 

このころ10代のクラプトンが、ロンドンのストリート・ミュージシャンが弾くTonyのアコースティックギターを見て、入手したがったという話は有名である。もっとも初期の12弦ギターの一本は、トニーがまだ試作段階で製造したプロトタイプの様なモデルで、6弦のブリッジとセミアコのブランコテールピースを組み合わせて12弦仕様に工夫し、ホフナーのギターから取り外されたピックガードを貼り付けた、エクスペリメンタルなギターだった。ジミ・ヘンドリックスが、このギターを演奏するシーンが収録されたビデオがある。神格化されたこのギタリストが、ロンドンでトニーのアコースティックに出会ったのは、偶然だったが、その後の二人の進む華やかな街道のスタートとしては、「必然」のように語られ続けた。それだけ、「ギターを創ること・演奏すること」が、選ばれた天才達によって支配されていた排他的な時代でもあった。