番外編:メタボリズムとギターデザイン
ぎ・ぎた・ぎたあ。1959年のメタボリズム
六本木ヒルズの森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展」を観て、1959年以来「進化」と「代謝」を繰り返しながら、今なお当時の姿のままで君臨するデザイン「レス・ポール」について考えた。
「メタボリズム」とは「新陳代謝」の意味であり、日本の建築界で1960年に川添登・黒川紀章・菊竹清訓らによって結成された建築運動だ。「生物が代謝を繰り返しながら成長していくように、建築や都市も有機的に変化できるようデザインされるべきである」という考え方を核に実験的な建築構想を具体化した日本オリジナルの建築理論である。
高校三年生の終わりに、林信秋氏(アトランシア代表)へ手紙を書き、「氏のベースデザインに共感した」と述べたときに私が引き合いに出したのが、偶然にも、この建築家・菊竹清訓の「代謝建築論 か・かた・かたち」だった。
言葉と概念とデザインを一つの考え方で分析・統合した理論は、そのまま、「音・デザイン・概念」を包括するギター(楽器)のデザインにも通じ「新しい道を示すもの」であると、意気が上がった。毎日毎日ギターの構想を練っては、何枚もの絵を描いた。アトランシアのベース・デザインには、まさに日常と革新と普遍性を包括したモダニズムがあり、それは時代と共に代謝しながらも、オリジナル性を限りなくとどめているべき素晴らしいものであるはずだった。ギターに於けるモダンなデザインは斬新で目を惹くが、必ず陳腐化し、代替されてゆく。これまでも秀逸なデザインが、日本からも数多く発信されており、GrecoのBoogieや、Aria ProIIのPE、IbanezのJEM、KawaiのMoonsault、H.S.AndersonのHustonなど、今見ても美しいモデルが挙げられる。そのほとんどが、「代謝しながら成長すること」が出来ずにいるのは、悲しいことである。私が、当時雑誌のギターデザインコンテストの為にデザインしたギター「Monkey Blade」にも、普遍性の無いアバンギャルドがあらわれている。
Taddy Mitsui Monkey Blade
では、レス・ポールの完璧さは、どうだろう。
「完璧なレスポール」と、「代謝する切腹女子高生」
レスポールは、「メタボリズムが生まれた1960年」にすでに完成形として存在したまま、何一つ変わらず現存し機能していることが奇跡だ。むしろ途中で代謝しつつ変化した過程をすべて否定しながら、現在は、まさに1959年をめざして退化しているのである。Gibsonがヒストリックコレクションで追求しているものは、細部に亘るスペックや、パーツの復刻、「時間と共に形態や機能が変化する生命の原理」とは相反する固定概念に縛られた世界の再現だろう。68年から79年まで、Gibson社が繰り返したきた「ロゴの変更」「ペグ改良」「ブリッジの効率化」「パーツの生産性向上」の進化は、新陳代謝ではあったが、「レスポールが既に完璧であった」という認識が欠如して事を理解すべきである。
いま、こうして1959年製レスポールを観察していると、すくなくとも、これから先、代謝を繰り返す楽器業界にあって、「ゆるぎない真実=レスポール」にどう取り組んでいくのか答は出そうに無い。デザインは「進化する」というが、「代謝」ないし「進化」する為には、デザインの継続性に対して強い意志が必要である。私がギターをデザインする情熱も、ずっと進化していきたいと思っている。
by Taddy Mitsui